安川落梧邸跡
元禄期(1688~1704)、岐阜は安川落梧を中心に俳壇が盛り上がっていた。安川落梧(通称助右衛門、屋号は萬屋)は、岐阜本町の呉服小間物雑貨商の富商だった人物で、京都と取引をしていた。商売の一方で毎月句会を開き、蕉風を広めようとした。元禄元年(1688)夏に、芭蕉を稲葉山の亭に招いき、鵜飼も見たとされる。「瓜畠集」を撰集中の元禄4年(1691)没。
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