岐阜町奉行所跡
元禄8年(1695)に、岐阜町奉行所が開かれ、岐阜の統治や長良川の水運の管理を行なった。ここには手代屋敷・同心屋敷・道場などもあった。徳川家康は、慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦に勝ち、それまで支配していなかった美濃を統治した。その際、岐阜町は幕府の直轄領、その他に加納藩、30ほどの旗本領などに分割して統治した。岐阜町が尾張藩領となったのはその後であり、町民の要望もあって奉行所を設けたといわれる。
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