長良川湊跡
16世紀中ごろ、斎藤道三、織田信長の頃から、この辺りは中川原、明治時代には富茂登(ふもと、金華山の「麓」が語源か?)村と呼ばれていた。ここには、道三により早田や美薗とならび市場が開かれ商業の拠点として繁栄していたとされる。道三は城下町を作るにあたり、ここから上流にかけての場所に川湊を設け、長良川の上流域で豊富に産する美濃紙、木材、茶などや、当時からブランド品であった関の刃物が、ここを介して全国に販売されていた。
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